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皆様ご無沙汰です。やっと年末・年始休診になり、第2話を執筆する事ができまし た。お待たせしました・・・。
医院を開業して、皆様からいちばん多く質問された事が、「どうしてお医者さんに
なったのですか?」と、「どうしてまつみ医院なのですか?」という事でした。
私が医師になりたいと思った動機は、忘れもしない小学校に入りたての頃にTVで放映していた「赤いシリーズ」で、娘役の山口百恵さんを助けるお医者さん役の宇津井
健さんを観て、「お医者さんて何てカッコイイのだろう!」と思った事と、父親の医者になってほしいという強い希望が合致したところにあります。そんな事から、小学校の低学年の頃より「自分は将来、お医者さんになるんだ!」という事を強く思い続け、そんな自分を亡き父と、母(今も元気にしています!)が全面的に支援して
くれたお陰で今日があります。
「まつみ医院」の名前の由来として、どうしてもお話したい私事があります。それは私の父の事であります。第1話でも少し触れましたように、7年前に父を亡くしました。死因は脳出血で、突然に倒れてから約3週間粘ったのですが、眼を開けることはありませんでした。余病もなく健康な父でした。・・・倒れた場所が悪く、埼玉の脳外科が専門でない個人病院に運ばれ、全く動かすことができませんでした。当時医師10年目の私としては、大学病院の腕の立つ脳外科の医師にお願いできる立場にありましたが、肝心の実の父には最高の医療を受けさせる事ができずに、目の前で指をくわえたまま死なせる形となってしまいました。本当に辛かったです。と同時にその時に身を持って「身内が亡くなる」事の辛さを実感し、一人の医者としても少しだけまた成長できた様な気がします。きっとそんな思いをさせる事も父の教えではなかったのかと思う位です・
・・。
父は医師ではなく、裸一貫から貿易・食品会社を興し、世田谷に自宅を構え、私を含めた4人の兄弟(しかも全員「男」!、私が次男で、四男も順天堂大学医学部附属
病院の本院で消化器内科を専攻し活躍中。)全員を見事に一人前にしてくれました。非常に厳格な父で、私が褒められたのは小学校4年生位までで、あとは叱られる事ばかりでした。・・・とても親不幸な息子であったと思います。でも実はきっと私はそんな父が大好きで、何とか褒められようと一生懸命やっていたのですが、最後の最後まで面と向かっては褒めてくれる事はありませんでした。(・・・医学博士号を取得した時でさえ、「調子に乗るなよ」ですから・・・母いわく影では自慢していたようですが・・・)
そんな父が倒れる3日前に、「お前そろそろ開業したらどうだ」とめずらしく父の方から言ってきたのでした。兼ねてから開業してほしいという希望は知っていたのですが・・・。そうなんです!私にとって開業とは亡き父に褒められたくて行き着いた結果なのです!!そして開業時に医院名を保健所に届ける際には、迷うことなく父の会社の名前:松美産業(現在、長男と三男が跡を継ぎ、盛業中であります。)から、「まつみ」を取ったのでありました。ちなみに開業して3年目に設立した医療法人
紀明会(きめいかい)は、父親の名前:紀明(のりあき)から頂いたものであります。 ・・・ 百年遅い親孝行ですが ・・・。
以上が一番多いご質問の答えであります。(平成19年1月1日)
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