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 明けまして、おめでとうございます。2008年も宜しくお願い申し上げます。・・・気付いてはいましたが、ついに2話から1年が経過してしまいました。決してサボっていた訳ではなく、何人かの方々にも「楽しみにしているよ」と 言って頂いていたのですが、そんな方々からもついには何も言って頂けなく なり・・・忙しさを理由にゴメンナサイ!。お話・文章を書くことは決して嫌いではないのですが、いざ皆様に見せるもの、自分の医院のホームページかと思うと、どうしても大作をと考えてしまいがちです。


 昨年末は一昨年の「ノロウイルス」程強くはなかったものの、「ウイルス性胃腸炎・嘔吐下痢症」が流行し、かつ多くはありませんでしたが、例年より1ヶ月近く早めにインフルエンザA型が出現したため、外来は非常に混んでしまいました。12月25日クリスマスの日は、過去にも何度か経験したことはありましたが、朝9時から外来が始まり、昼休みは一切なく、午前の順番待ちの患者さんが午後3時30分を回り、午後の予約の方々と一緒になっていました。特に連休明けということもありましたが、結局外来終了したのは午後8時30分近くで、多くの方々をたくさんお待たせしてしまって申し訳ないやら、私もスタッフもボロボロになってしまうやら・・・。


 開業する際、「診療時間」を決めるときに、多くの先生方のものを参考にしました。漠然とみるとあたかも昼休み(午前診療終了〜午後診療開始まで)を3時間〜4時間とっているように見えて、ずいぶん医者はお気楽な商売だな〜と眼に映るかもしれませんが、開業して6年半が経過して、私の場合は昼休みは平均して1時間取れるかどうかのところが実際であります。
 スタッフには入れ替わり入ってもらい、何とか1.5時間の休憩を確保するようにしていますが、私の場合はその1時間余りの中で、左手におにぎりを抱えながら、右手で電子カルテを操作し、残務整理、紹介状・介護保険申請書、患者さん用の検査結果票の作成等を行っている日々であります。午後診療〜片付けが終わるのが、午後7時〜8時過ぎと季節により幅はありますが、スタッフが帰った後も昼休み同様の業務を行ってクリニックを後にするのは、だいたい午後10時〜11時位は当たり前です。帰宅してから入浴し・食事を摂って就寝するのが深夜1時を回り、朝6時過ぎに起床して、朝8時過ぎには医院に着いて、8時30分から検査開始して・・・もうかなり慣れました。
 新しいスタッフが入職する際には、いくつかの決まりごとを含めた諸注意とともに、当院がどういう考えで患者さん対応しているかということを記したものを手渡すのですが、その中に「一期一会」があります。意味はここで示 す必要もないと思いますが、さすがにその人数・激務になってくると、私自身朝一番の患者さんと、夜7時回った患者さんと同じ笑顔・対応ができているかどうか?全く自信はありません。意識的に疲れを見せずに頑張ってやろう!とは思っていますが、私も人間なのでごめんなさい。


 話は変わりますが、ホームページに「検査について」という項目を設けて、現在当院を手伝ってくれているドクター紹介しています。(詳細はそちらをご参照ください。)最初の3年までは、外来診療+各諸検査全てを自分一人でこなせていたのですが、外来患者さん増加に伴い物理的に不可能となったことから、3年前の9月〜実弟:松村祐志に、昨年1月〜医局の後輩:林重之医師に検査を手伝い・お願いしている状態です。本当は全部自分で行いたいのですが・・・。
 私の実弟:松村祐志は、現在順天堂大学医学部附属の御茶ノ水にある本院の消化器内科・画像診断部に籍を置き、現在助手として主に胆のう・膵臓がんの検査・診断・治療〜外来・研究と多忙な日々を送っています。元々その医局「画像診断部」は全国的にも有名で、どちらかというと私が胃・大腸系が専門であったことから、消化器内科全般的に診療を行っていかなければいけない開業医的立場にとって、非常に心強い存在であります。何と言っても血を分けた兄弟なので信頼度は抜群。(私より痩せていて皆がカッコイイというが・・・私も昔は痩せていた!クソ!)彼も「兄ちゃんの医院だから間違いがあっちゃいけない」と常々口にしていてくれて、その腕のみならず患者さんからの評判も上々で助かっています。
 私の後輩:林重之医師は、現在日産厚生会玉川病院の消化器内科で 医長としてその腕を振るっており、私の大学の医局での7年(医者としては 5年)後輩になります。大学で一緒に仕事をしたのは2年余りですが、過去の出張病院で星の数ほどの検査・症例実績があるのに加え、何といっても 「医者として」「人間として」申し分ないところが、私がスカウトした最大の理由です。「医者としては」患者さんに対する対応は申し分なく、「人間としては」 おそらく私より明らかに真面目でしょう!やはり彼も私の医院ということで、最大限の努力をしてくれており、皆様から弟同様に高い評価を頂いております。


 二人とも現役バリバリであり、開業医として視野が狭まりがちの私にとっても学会等の最先端の知識の学べる、教えてもらえる貴重な存在であり、結果的には「まつみ医院」を受診・検査して頂いている患者さんに、確実にフィードバックされているものと考えています。つくづく良いドクター、スタッフに恵まれているものと痛感しておりますし、今後もまた沢山のドクター、スタ ッフに支えられていくことであろうと思います。
 現在、そしてこれからも「まつみ医院」は、とても私一人で出来る仕事ではありません。「日々皆ありがとう」とこの場を借りて申し上げておきたい。(平成20年1月3日)


 皆様ご無沙汰です。やっと年末・年始休診になり、第2話を執筆する事ができまし た。お待たせしました・・・。

 医院を開業して、皆様からいちばん多く質問された事が、「どうしてお医者さんに なったのですか?」と、「どうしてまつみ医院なのですか?」という事でした。

 私が医師になりたいと思った動機は、忘れもしない小学校に入りたての頃にTVで放映していた「赤いシリーズ」で、娘役の山口百恵さんを助けるお医者さん役の宇津井 健さんを観て、「お医者さんて何てカッコイイのだろう!」と思った事と、父親の医者になってほしいという強い希望が合致したところにあります。そんな事から、小学校の低学年の頃より「自分は将来、お医者さんになるんだ!」という事を強く思い続け、そんな自分を亡き父と、母(今も元気にしています!)が全面的に支援して くれたお陰で今日があります。

 「まつみ医院」の名前の由来として、どうしてもお話したい私事があります。それは私の父の事であります。第1話でも少し触れましたように、7年前に父を亡くしました。死因は脳出血で、突然に倒れてから約3週間粘ったのですが、眼を開けることはありませんでした。余病もなく健康な父でした。・・・倒れた場所が悪く、埼玉の脳外科が専門でない個人病院に運ばれ、全く動かすことができませんでした。当時医師10年目の私としては、大学病院の腕の立つ脳外科の医師にお願いできる立場にありましたが、肝心の実の父には最高の医療を受けさせる事ができずに、目の前で指をくわえたまま死なせる形となってしまいました。本当に辛かったです。と同時にその時に身を持って「身内が亡くなる」事の辛さを実感し、一人の医者としても少しだけまた成長できた様な気がします。きっとそんな思いをさせる事も父の教えではなかったのかと思う位です・ ・・。

 父は医師ではなく、裸一貫から貿易・食品会社を興し、世田谷に自宅を構え、私を含めた4人の兄弟(しかも全員「男」!、私が次男で、四男も順天堂大学医学部附属 病院の本院で消化器内科を専攻し活躍中。)全員を見事に一人前にしてくれました。非常に厳格な父で、私が褒められたのは小学校4年生位までで、あとは叱られる事ばかりでした。・・・とても親不幸な息子であったと思います。でも実はきっと私はそんな父が大好きで、何とか褒められようと一生懸命やっていたのですが、最後の最後まで面と向かっては褒めてくれる事はありませんでした。(・・・医学博士号を取得した時でさえ、「調子に乗るなよ」ですから・・・母いわく影では自慢していたようですが・・・)
そんな父が倒れる3日前に、「お前そろそろ開業したらどうだ」とめずらしく父の方から言ってきたのでした。兼ねてから開業してほしいという希望は知っていたのですが・・・。そうなんです!私にとって開業とは亡き父に褒められたくて行き着いた結果なのです!!そして開業時に医院名を保健所に届ける際には、迷うことなく父の会社の名前:松美産業(現在、長男と三男が跡を継ぎ、盛業中であります。)から、「まつみ」を取ったのでありました。ちなみに開業して3年目に設立した医療法人 紀明会(きめいかい)は、父親の名前:紀明(のりあき)から頂いたものであります。 ・・・ 百年遅い親孝行ですが ・・・。

 以上が一番多いご質問の答えであります。(平成19年1月1日)


 初めまして、医療法人 紀明会(きめいかい) まつみ医院の院長をしています、松村修志(まつむらしゅうじ)です。  
 5周年と同時にホームページをリニューアルし、「院長日記」なるもののコーナーを設けました。少しでも皆さんに「私」を知って頂き、身近に感じて頂ければと思い、頑張ってやってみようと考えたのですが、お陰様で日々多忙なうえに、元々小学校の頃から夏休みの日記はまとめて書いてしまう=国語は苦手な私であった事を今さらの様に思い出しました。やっと当院も夏期休診になり、「1話は書かなければ・・ ・」と思い、やっとの思いでパソコンに向かいました。


 まずは地域の皆様を初め、当院を信頼して受診してくださっている、たくさんの方々に御礼を申し上げたいです。5年前の春に、当時父親を2年前に亡くし、大学の医局も開業のために辞めて、何の後ろ盾もない「人生の背水の陣」のつもりで、世の中でいう「リサーチ」を頼りに、いきなり縁もゆかりもないこの日吉の地にやって参 りました。
 もともと、「先生の顔を見たら、痛いのが治ったよ」といわれる医者に成りたいと 思っていた事と、患者さんとお話をするのを「苦」と感じたことがない事が、「開業医」「地域医療」向きでは?と思っていたのですが・・・がんセンター・大学で身に付けた内視鏡検査の腕だけが頼りであった私にとって、不安と共に全てが初めての連続でした。結果的に日々100名を越す方々のご来院を頂き、遠方からも(新潟から来る方も・・・)わざわざ内視鏡検査を受けに来て頂ける様になり、患者の皆様、まつみ医院のスタッフ、そして家内を始めとした家族に、重ねて御礼を申し上げます。



 私の医師としての基本理念に、「皆様の目線に立った、優しい医療、わかりやすい医療を目指して出来る限りのことさせて頂きたい」という考え方があります。これは開業時に思い立ったフレーズではなく、がんセンター、大学病院・一般病院に勤務している最中から、自然と自分の中に「医者って何だろう?」と考えていくうちに出た答えです。  
 医療の現場は現在もいまだに「白い巨塔」、最近では「医龍」(チョット格好良すぎるけど・・・)であることは間違いなく、絶対的な封建社会であり、少なからず 「お医者様」的な医者がまだまだ存在します。患者さんに病状説明をする際に、医学用語を用いて簡潔に述べた方が、私達としても簡単で、時間も短く済みます。また自分の専門である「疾病」のみにこだわりを持ち続け、あとは他の専門医にお任せしてしまうのも、大学病院の医師であれば許される行為だと思います。


 しかしやはり「医療」というのは、ヒトとヒトの関わりから始まるものと考えてい ますし、「病は気から」という言葉もある程度までは本当の事と思います。私の外来は大学時代、一般病院時代からそこそこ混雑していた様に思います。それはご受診される患者さんが多かった事よりも、私が皆さんのご質問に色々と答えてしまうために、1人当たりの時間が長かったためと思います。「お前は要領が悪い」「他の医者に迷惑をかけている」等、よく言われたもので、専門以外の事でも自分の医者として経験してきた事で、何かしらお答えすることでその患者さんの助けになればと・・・医者なのですから。私は亡き父に、「医者という立場は、患者さんに接する際に錯覚を起こし易いもの。=強い立場だからゆえに、おごる事のない様に。」と、医者になりたいと思った小学校時代から「耳にタコ」が出来るくらい言われ続けました。


 開業医になって、かなり自分の理想思い描く医師としての仕事が出来つつあります。ただこれもかかりたい患者さんが増えれば増える程、次の方、次々の方・・・をお待たせしない様にと考えると、そこにまた矛盾を感じている日々でもあります。限られた時間の中で、いかに失礼のない、効率のよい対応ができるか?「自分が3人居たら!」とこの数年間に何度考えたことか・・・ドラえもんが欲しいです。(平成18年8月24日)